理由は本を読んでもコスト(時間、お金、労力)に見合った成果がないと思ったからだ。
しかしそうじゃないと感じた。
本を読むのはインプットすることで、思案してアウトプットの多様化することが目的だ。
僕は目的を果たしていないからコスパが悪いと感じている。
しかし、目的を果たしている人もいる。
読書という方法が悪いのではなく、
自分の読書の仕方、読書を通したアウトプットの仕方が悪いのだと感じた。
加えて投資を惜しんでいる精神がダメだ。
何かを得るために何かを手放す。
手放して中を得られるのは確定じゃないけど、それでも何かを手放さない限り、現状維持、あるいは衰退が待っている事を思い出した。
アウトプットの多様化、知識の蓄積を主目的として読書にコスト(時間、お金、労力)を割いてみようと思った。
学ぶには先人の知恵を活用するにほかならないし、学びたいならその分野に卓越していて、それを体系的にまとめてある書物を通して学ぶのがいい。
理解できなければ元に戻れるし、理解のスピードも自分で調整できる。
読書、本。
結局は人が作ったもの。
成長するには直接、間接を問わず人に学ぶしかないのだ。